|
 |

かつて大阪の大部分が海だった、というのは有名な話。約1万年前に氷河期を脱し温暖化を迎えた地球は、海面が徐々に上昇。約6000年前の大阪では、生駒山麓付近まで海水が浸入したといわれます。その結果、上町台地が半島のように突き出し、その東側には河内湾という内海が広がりました。本物件が誕生する上町台地が、地学的に高く評価されているのは、古く何千年もの間陸地であった地盤の良さが所以です。 |
 |
 |
| 上町台地 |
中大江幼稚園付近 |
|
 |

戦国時代で焼け野原となり疲弊しきった「大坂」を、元の姿より何十倍も美しく機能的な街へと復興させたのが「太閤さん・秀吉」です。大阪城の築城とともに、城へとつながる街道と水運を整備し、城下町が国の中心として機能するよう徹底的に整備と投資を行いました。その際に、城から最も近い一等地として生まれたのが「上町」です。上町とは、本物件が誕生する「島町」を北端に、南は「高麗橋」へと延びるエリアをさし、武士の中でも上級武士だけが住める憧れの地でありました。 |
 |
 |
| 大阪城公園 |
高麗橋付近 |
|
 |

「水の都・大坂」と呼ばれる舟運は、太閤さんの時代に隆盛を誇りました。全国からの年貢が堺方面から集まり、淀川を人荷が京や伏見へと往来する。そしてその起点となる現在の天満橋界隈は、まさに「天下の台所」として大いに栄えました。船着き場には巨大な蔵屋敷が所狭しと並び、上町から淀川を挟んで北側の町「天満」には大名の屋敷がズラリ。ちなみに、城から淀川を渡り「天満」へと向かう橋なので「天満橋」という名がついたそうです。この頃の天満は、全国に名高い市のある町人の街。様々な町人文化が息づく街でありました。 |
 |
 |
| 天満橋 |
桜之宮公園から大川を望む |
|
 |

はるか昔から陸地であった由緒正しい地に、太閤さんが残した雅の文化。そして江戸時代、商人・町人たちが宿した洒落っ気と商い根性。この地には、そのすべてが脈々と息づいています。さらに新しい物好きの大阪人らしく、古き佳さは大切にしつつ、新しい流れにも乗り遅れない。これからも時代の中心として、この街の歴史は続いていくことになるでしょう。 |
 |
 |
| 街並風景 |
街並風景 |
|
|
|